三木伸哉先生の大連便り 

   

結婚式に参加して

 水産学院の若い教師が結婚式を挙げると聞いていたので 「何でも見てやろう」と、参加を希望していた私は本人に 、「結婚披露宴には呼んで頂戴よ」と伝えておいた。

 何でも直前に決まる習慣の中国らしく、その3日前に参加の打診が来た。少なくても日本では、半年くらい前から、暦を見ながら日程を決め、発起人会を開き準備をするのが慣わしである。3日前とはあんまりだとも思いながら、すべてに優先して祝賀会に参加することにした。

 「923日の何時開始ですか」と聞くと、「1118分から」だという。何だろうこれは、こんな半端な開始時間もあるのかと思いながら、会場に馳せ参じた。高島の暦ではないが、縁起を担ぐことは中国が元祖らしく、この開始時間が決まったようだ。

 会場に入ってみると、ネクタイを締めているのは、新郎と司会者、それに水産学院の王先生と私の4人きりである。ラフな格好でどうぞとは聞いていたけれど、新郎新婦の両親も、ネクタイはおろか皺の付いたズボンをはいて参加している。

 列席者はおよそ180人、外国人はどうやら私一人であるようだ。いずれスピーチの時間もあるから、新郎とは旧知の仲であるし、ひやかしに簡単なスピーチを考え、王先生の奥さんに添削をして貰って準備をしておいた。

 結婚式は祝賀会の始まる前に同じ会場で行われた。 1118分新郎新婦の入場、結婚証明書の朗読、指輪交換、新郎新婦の接吻(いらいらするほど時間がかかる)両親への花束贈呈、新郎の誓いの言葉と続き、どうやらセレモニーは終了。

 仲人という役割の者がないからすぐスピーチに入った。職場の代表がするかと思ったら、「今日は日本から珍しいお客様が見えているのでこの人から、、」という紹介があり、すぐ壇上に立たされた。どうも勝手が違う、こんなはずではなかったと思ってももう遅い。ここで後込みしていたら日中友好に傷が付くと思い、先陣を切った。

「彼とは水産学院時代からの仲であること、この中国式の結婚披露宴に参加したいと思っていたが、今日参加でき大変嬉しい。お二人が共に白髪が生えるまで、偕老同穴で仲良く暮らして欲しい」とごくありきたりの挨拶内容を、日本語のあとに中国語で挨拶してどうやら無事終了した。

 それから日本と同じような賑やかな祝賀パーテーが続いたが、高い煙草と普段飲むこともできない茅台酒(マオタイシュ)もご馳走になった。新郎にとっては何かと物いりである。すべて披露宴の費用は新郎側の負担であるから。

結婚式に参列してから、中国の結婚事情を調べてみた。

当世結婚事情

 中国は昔から売婚の慣わしがあった。70年代まではお互いが同意すれば、職場で簡単な結婚式を挙げて、会社が手配してくれたアパートに住むだけという、質素で簡単なものであったようであるが、最近は売婚の習慣が復活してきたようだ。つまり結婚するのに新婦側は多額の金品を受け取るという習慣である。

 今まで苦労して育てた娘を、ただで差し上げるわけにはいかない、ということがその制度の復活らしい。多額の金品とはケースバイケースだが、数千元から数万元というところらしい。 だから男達は恋人を捜す前に貯金をはじめる。恋人が出来てからでは遅いという。

 若い男性が結婚前に貯金をしても、金額としてはごく僅かなものに過ぎないであろう。しかし中国の男性は、好きになった女性と結婚するために、必死に働き金を貯め込む。健気といえば健気であるが、質素な生活に甘んじながら、倹約の生活を送るその姿はいじらしい。

 思い出すのは 山崎 豊子の「大地の子」である。

主人公、陸一心は、妹の明子と離ればなれになって、30年後、その妹と長春の郊外で再会した。その時、もう妹は重篤の身であった。彼女は幼少の時から貧しい農家の娘として育てられたが、その農家のウスノロの息子と結婚させられて、牛馬の如くこき使われて30数歳で儚い命を終える。

 日本人の残留孤児を描いて、我々日本人に深い感銘を与えた出色の小説であるが、これは、山崎豊子のフイックションの世界といっても、3年にわたる現地調査の末、実態に即して描かれたものである。戦後の離散した家族が、中国の各地で、このような末路を辿った女性はどれほどの数に上るか分からない。

 つい最近まで中国の女性は、貧しい家庭であればあるほど、幼少の時から婿になる男性が決められて、夢も希望もない一生を終わる女性が多かったという話である。

 開放改革の時代から中国の女性の目は開かれた。特に女性の社会的な進出はめざましい。男女同権などというものを通り越して、まさに結婚した男性は、女性の下僕のようになっていることが多いという。

 ほとんどの家庭は共働きである。夫婦二人でやっと生計を維持できるというのが、中国の一般的な家庭である。女性の社会的進出がめざましくになるに連れて、家庭での立場も逆転したようである。夕食はほとんど夫が作るのが一般的になっているとか。そういえば買い物のビニール袋を下げて、黄昏時を帰っていく男性の何と多いことか。

 それでは女性は何をしているのだろうか。男性が夕食を作り女性は夕刊を読んでいることも多いというから、我々日本人の男性はぶったまげる。

結婚の適齢期は

 日本では結婚したくない男性や女性がますます増えてきて、少子化現象に拍車をかけている。パラサイト シングル(親に寄生する独身者)は、いまや1000万人を越すようになった。そういえば我が家にも一人居た。適齢期を越えても、結婚したくない若者はますます増えるばかりである。まさに亡国の兆しである。

 料理洗濯、掃除などは親任せ、親に23万円の食い扶持をいれて、栄耀栄華の独身生活を送ることが出来るが、彼らにも結婚しなければならないという、焦燥感は常につきまとっているという。

 しかし日本にも、230年前まではこんな現象はなかった。適齢期になったら結婚するものだという社会通念があり、若者はその通念に従順であった。

 ちょうど中国は日本の230年まえの状況である。私の身辺の中国人教師は、30歳前後が多いが、みな既婚者である。どんなに貧しくても適齢期が来れば結婚しなければならないという、一般的な社会通念のなかで彼らは結婚していく。

 女性は256歳まで、男性は30歳くらいまでに結婚することが多いという。今にして考えると、日本でもそのような結婚適齢期の不文律があって、それがきちんと守られていた時代があった。日本の230年前の状況と同じ中国が豊かな国に変貌して行くに連れて、日本と同じ現象を辿るのではあるまいか。


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