表紙の写真は、かつて特急「あじあ号」を牽引した「パシナ型」機関車と、急行「はと」を牽引した「パシハ型」機関車です。
 「あじあ号」は1934年、世界でもトップクラスの列車として登場、全客車が空調装置を備え、当初は大連−長春(旧新京)間700キロを8時間30分で走行した。機関車「パシナ」は重量200トン、自動給炭機を装備し、高速走行に適した直径2mの動輪は世界でも最大クラスであった。その力強さが、当時の多くの日本人の心に焼き付けられた。


 戦後これらの機関車は、中国の鉄道労働者によって補修されながら輸送手段として使用されてきたが、老朽化により1台1台と現役を引退し、瀋陽市南郊の蘇家屯区に集められた。1980年、鉄道ジャーナル社の竹島紀元氏らがこれを発見、大きな話題を呼んだ。しかし、日本国内では商業的に利用しようという「パシナ」争奪戦が起き、中国側もこれに態度を硬化させ、機関車を日本国内に保存しようという運動は頓挫した。


 その後、日本の鉄道愛好家らの粘り強い運動が実を結び、中国内での保存・展示に道が開けた。1981年から1984年の間、竹島氏や旧満鉄の技術者らと中国の鉄道技術者の協力で「パシナ」機関車を修復し、遂に蒸気を吐いて走るところまで復元し、蘇家屯の機関区構内で多くの日本人を乗せて走った。


 しかし、ボイラー等の破損がひどく、動態保存は諦められ、その後瀋陽市蘇家屯の蒸気機関車展覧館で屋外展示されてきた。