あじあ号 その後

 125日、大連から瀋陽に向かう列車へ大連に駐在しているT氏から電話が入った。「蘇家屯にあるあじあ号が、すでに瀋陽に移転されたと聞いたのですが、本当ですか?」「すみません。何も聞いていませんので。瀋陽で何かわかったらご連絡します。」と言って切りました。

 瀋陽での仕事も終わり、半日時間があいたので、あじあ号のことを調べてみようと、中国の友人に依頼すると、蘇家屯政府に電話して、今の状況がどうなっているかすぐわかりました。「あじあ号を含めた鉄道博物館は、瀋陽市植物園内にすでに着工済み」とのこと。

 せっかく瀋陽に来たのだから行ってみようかということになって、アイスバーンの道をそろそろと瀋陽市東郊に向かう。東陵の更に東に植物園はあり、青い空、きらきら光る雪化粧の中に、この季節ではひっそりとしている。

 植物園の北部の方に建築現場はあり、掘り下げた地下から鉄筋がつきだしている。冬で工事は止まっているが、現場のプレハブには何人かの人がいて、事情を聞いた。

 「昨年秋から工事にかかった。今年4月には工事を再開する。」

 「10月頃完成予定で、10月に蘇家屯からあじあ号を含めて十数台の機関車を持ってきて、展示する。」

 「事業主体は瀋陽市である。」

 「昨年秋に、元あじあ号の技術者だったという人の息子さん(七〇代の人)が来ていた。」

 「外国からの援助はあるようだが、自分たちではよくわからない。」

ということだった。

 車から降りると、マイナス20度くらいの寒さ、話を聞いて引き返した。

 このままいくと、今年秋には鉄道博物館は完成し、誰でもが見られるようになります。しかも屋根付きの博物館だから、今以上の老朽化は避けられます。計画の詳細はわかりませんが、復旧がうまくいけば、「走るあじあ号」を見られるようになるかも知れません。

(注・あじあ号は、旧満鉄時代に日本が製造した列車で、当時は世界最速の列車であったと言われる。ハルビン−大連間約千キロを8時間で走った。車輪の直径は2m以上あり、非常に大きな機関車だが、美しい形をしている。現在は瀋陽の南蘇家屯の機関車展示館に、同時代の米国、ドイツ、チェコなどの機関車十数台とともに野ざらしで展示されていて、いずれもが朽ち果てつつある状態。瀋陽市は、「侵略の遺物」と見ずに、「その時代の人類が作り出した科学技術の結晶」ととらえ、次世代に歴史の産物として残すとともに、家族連れで遊べる場所として「鉄道博物館」を計画していた。)