撫順・平頂山殉難同胞遺骨館 |
現地の遺骨館を見るだけで、細かい説明はいらないとおもいます。 ただ、事件発生の背景を知らなければ、このような残酷なことが行われたか理解しえないのでその概略を説明します。 事件は、昭和7年9月15日におこりました。この前年の9月18日に満州事変が関東軍によって引き起こされました(9.18記念博物館)。この日は、清朝の廃帝・溥儀を押し立てて満州国を建国した、その式典の日でした。これに反対するゲリラの武力行使があるということで、緊迫していたときに、ゲリラが炭坑を襲ったという情報をえた守備隊と憲兵隊(約200人)が、平頂山の部落を襲い、住民約3,000人を崖の下に追いつめて機関銃の掃射で殺し、遺体に石油をかけて焼き、崖にダイナマイトを仕掛けて爆破させ崩れた土砂で埋めたのであります。 昭和44年から遺骨の発掘が始まり、幅5メートル長さ80メートルの遺骨(約800体)の川を覆う遺骨館が、同46年に竣工されたものであります。 |